ZEROへ ?初期〜中盤
2002年10月5日*レジの開放をして
しかし結局入りに来る人は居なくて自分的には予測通りだったけど、残念がったmemも居た。
しかし半月くらい色々な事を検証しながらやっていたら様々な問題が起きた。
・他レジの殆どから批判しか寄せられなかった
・通常自体が殆ど行われなかった
・通常行われない中での人数過剰の為ZERO自体も定期actが不足した
3点とも非常に残念だったが、特に最後の点は後のZERO活動にとても響く。
*この頃戦争の状態はどうだったか
設立当初よりは明らかに良い状態であった。
何をもって強い状態弱い状態と言うか定義難しいけど、前の連敗に次ぐ連敗状態を脱しようと皆が思っていた(と私は感じたけどな)
他のレジ長とも結構良く話した
夏の終わり頃は夏のはじめ頃より様々な点が良かったと私は思う。
ZERO自体も何を議論するべきかとか話して良く議論できていたかな
*ZEROMEMのACT不足
は夏の終わりくらいから深刻になった
新しく来る人が数名居た分元レジに請われて戻った人やACT下がった人多く、当初の私の目的は実行する前に殆ど挫折した。
初期memとしてまっちょに挙がっている名前10人の内最後まで定期ACT出したのは半分の5人だったのをがまぁ実情かな
mitaミニスコルモ雑魚の不在は特に痛かった(別に責めてないから本人は見ても泣くなよ・ミニスは処刑だけどな)
それはそれで仕方ないし取りあえず自分の最初の目的を凍結して改めて今のmemと何をするか話し合う。
*情報
様々な見学や新しい人が来る中、目的はこの頃UNIT運用とレジチャットでの情報流しに切り替えたと思う。前者は普通のレジでも出来る気がしたけどね。
これについては後述のBBSを見てどう言う物だか自分で判断して頂けると幸い。
ZERO来たばかりの人はとても大変だったろうな・・・ 良く頑張った
本当はレジチャットの重要性は微妙な所だったと思うけど、何が有効だか検証できたのは大きい。
巧い奴10人とかで戦争している時レジチャットなんて使う必要は全く感じない
ある意味巧い奴が下手な奴助けるような使い方だったかもしれない
でも全部が使い物にならなかったとは思わないかな
レジチャットについては書く機会があったらまとめます。
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